(202)壁いっぱいの世界【フィンランドムーミン便り】
壁画の制作は1949年。この面々が並ぶと冒険心が湧いてきます。
報道によると、映画『ソフィアの夏』の撮影はコトカのあたりで行われたという。それ以外でコトカという町の名前がトーベ・ヤンソンの話に出てくることはほとんどないのだけれど、でも実は壁画の制作をしている。ロシアに近いコトカの町はフィンランド語の次にロシア語を話す人が多く、スウェーデン語を母語とする人(トーベの母語はスウェーデン語でムーミンはスウェーデン語で書かれている)たちは元から少なかった。なのにこの壁画はムーミンのフィンランド語版が出る前に依頼され、制作されていた。
さて、コトカの幼稚園に描かれた壁画は、ムーミンがブームになる前に丁寧な修復が行われている。美術品なら当然のことだけれど、でも、トーベの壁画がこんな風に大切にされているのは実は珍しかった。なんだかそれだけで、コトカが好きになる。
その壁画を初めて見たのは5年前のこと(https://www.moomin.co.jp/news/blogs/56755)。まったく関係のない仕事で行っていたので急展開すぎて、私はただただ興奮して終わったという感じでもあった。近づいてみることすら憚られてしまい、ただただ作品に圧倒されて終わっていた。
5年ぶりのコトカは、やっぱり仕事だった。ムーミンとは関係のない仕事内容だったけれど、今回はどこに壁画があるかは知っているし、ほんの少しではあったけれど、ひょっとしたらまたあの壁画が見られるかもという期待もあった。ありがたいことに仕事が終わった時に声をかけていただいて、また壁画に出会えた。今度は何人かの人と一緒。すると口々に誰からともなく自分の目に入った「ねえ見て!ここにこんなのがある!」を言い始めた。ここに『ムーミン谷の彗星』の時の3人組がいるよ!焚き火もある!ねえねえ、この人なんて気持ちよさそうに欠伸してる!とか、私たちはとにかく自分が見つけたものを声にして、みんなと共有したくなった。壁画を前にして、私たちは鑑賞の喜びを共有しあっていたと今更ながらに思う。解釈や鑑賞に正解を求めず、誰かと一緒に見ることによって、絵の世界がどんどん広がることを楽しんだ。
その部屋でカメラを向けたとしても、うまく全体を捉えることはできない。それほど大きくはない部屋に描かれた壁いっぱいの絵には、自分のその時の気分にあった表情の生き物がいたり、気分を上げてくれそうなことをしている生き物がいる。子どもの頃、お友だちと喧嘩した時やなんだか寂しい時なんかも、きっとこの絵を見ているだけで、私は誰かと一緒にいるような気分になれただろうなと思う。トーベの絵は、何か答えを教えてくれるようなものではない。でも、トーベの絵は、答えはどんな風にでも作れるんだよと言ってくれているみたいだ。宝の箱や冠にはキラキラしたガラスが貼りつけてある。なんてことはないガラスなのだけれど、それはやっぱり宝石だった。
海の氷が溶けてクルーヴハルの島暮らしを始める最初の日。トーベはいつも島の商店に寄った。ガラスの器が並んでいる様子を眺め、その中から一つ、それを勝手にクリスタルと呼び、手のひらの上でガラスの器を傾けたりして光が踊る様子を楽しんだという。なんてことはないガラスだって宝石になったりクリスタルになる。なんてことはない日常のも、誰かと声をかけ合ったり、気分を変えることで世界はぐんと広く豊かなものになる。
欠伸の人を眺めていると気持ちよく眠れそう
森下圭子