秋に旅に出るスナフキン
ずいぶんと涼しくなりましたね。こんばんは、森番です。それもそのはず、来週23日(日)は「秋分の日」、そして24日(月)は「十五夜」です。秋らしくもなるわけですね。。。以前のブログにて立秋のお話をした際には、秋はまだ遠く感じられましたが、月日が経つのは本当に早いもの。今年の夏は暑くて辛いものではありましたが、いざこうして終わってしまうと、やはり寂しいものです。「夏の終わり」になると、そんな気持ちになるという方も多いのではないでしょうか。涼しい秋風や秋虫たちの鳴き声が、余計にそう感じさせるのかもしれません。。。
ところで皆さんは、『ムーミン谷の十一月』(講談社/鈴木徹郎訳)「スナフキン、旅に出る」にも、そんな秋という季節をよく描写した場面があるということを知っていましたか?
ある朝早く、辺りがひっそりと静まりかえったムーミン谷のテントの中で、スナフキンは思います。
「旅に出たいなあ。」
ムーミン物語によると、「秋になると、旅に出るものと、のこるものとにわかれます。(中略)めいめいの、すきずきでいいのです。」とのこと。すでにムーミン谷には、しんみりとした秋の気配がただよいます。
「ほんとにふいに、どこもここも、しんみりとしてきたのです。あたりのようすは、もう、なにもかも、がらっとかわっていました。」
スナフキンは今まで使っていたテントをいよいよ撤去し、後には枯れ草が長方形に固まった、テント跡だけが寒々と残りました。スナフキンの旅たちは、秋の風物詩のようなものになっているようです。
「あいつ、旅にいっちまったよ。秋になったんだねえ。」
一人になった旅人スナフキンは、雨降る中、森の中を歩いて行きながら「フィリフヨンカの谷」へと辿りつきます。しかしこの時、スナフキンが見かけたフィリフヨンカの家は、今まで出会ってきたどんな「風変わり」で「自分勝手な暮らしをしている」フィリフヨンカのものとも、違うのでした。垣根には先の尖った棒ぐいがずらりと並び、門には錠がおり、庭の中はすっかり空っぽだったのです。
「このフィリフヨンカは、もうすっかり秋になったのを知っていました。そして、うちのおくに、とじこもってしまったのです。」
このフィリフヨンカの家は、人の住んでいる家らしいものがまるで無い、空き家のような家となっているのでした。旅に出るスナフキンと、家の中に引きこもるフィリフヨンカ。なんとも対照的な秋の過ごし方をする二人。そして物語では、秋という季節の大事な過ごし方について、次のように語られるのです。
「冬もまぢかな、ひっそりとした秋のひとときは、寒々として、いやなときだと思ったら大まちがいです。」
「(前略)せいいっぱい冬じたくのたくわえをして、(中略)自分の持ちものを、(中略)ぴったりとひきよせるのは、なんとたのしいことでしょう。」
「自分のぬくもりや、自分の考えをまとめて、心のおく深くほりさげたあなに、たくわえるのです。その安心なあなに、たいせつなものや、とうといものや、自分自身までを、そっとしまっておくのです。」
今週はいよいよ秋到来ということで、旅に出るスナフキンの場面をご紹介しましたがいかがでしたか?(確かに、そんな、自分が安心できる冬支度を準備するのは、心癒される時間になりそうです。新金庫番も、心の奥底に掘った穴に、美味しい焼き芋やハーブティーなんかを入れて備えたくなってきたわ~!冬だけじゃなくて、心の非常時にも備えあれば憂い無しかも。。 by 新金庫番)
日本でも「夏の終わり」には寂しさを感じるくらいですから、フィンランドのような夏が短い北欧の国々では尚更のことでしょう。しかしそんな秋という季節だからこそ、私たちは冬へとむけて、体にも心にもしっかりとエネルギーを蓄えておかなければならないのかもしれません。自然と共に生きるムーミンたちの物語を読んでいると、そんな大事なことを感じさせられます。それでは今週はこの辺で、また来週お会いしましょう~!
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